笹子雁が腹摺山(1357.7m) 93.5.16 (日)

写真
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 自宅(6:10ごろ) --中央道(大月)、20号--旧甲州街道分岐(7:10 着、7:35発) --送電線(7:50)--山頂(9:32 着、10:55 発)--笹子峠(11:40)--分岐(13:05)

 前日、5時に起きたものの、のどが痛くて断念。今日も喉は痛いが明日はいざとなったら休んでやるとの気概で車で出掛ける。もっとも車で出掛けるということはお坊山は諦めた訳で、その点が楽になった。

 甲州街道を旧道との分岐まで車で来て駐車。すぐ裏の沢で雉打ちのあと出発。なにせ半年ぶりの山で歩きかたを忘れている。おまけに出だしはこれでもかという急坂。送電線のところで35歳前後の夫婦を追い越した以後、かなりペースが落ちた。準備運動のし忘れがひびいたのか、急坂でアキレス腱は痛むしかかとは擦れてくるしの苦しい登高。

 それでも天気は言うこと無しの快晴で、振り返れば笹子川の流域が光り輝き、丹沢方面はやや霞んでいるもの大室山や主脈が大きく、正面には米沢山からお坊山の稜線がきれいだ。
 一踏ん張りで稜線にでて、電波反射板が付いているきれいな円錐の山頂が見える。時折(よく見かけるのだが未だに名前が分からない)黄色い花とつつじが咲いている。

 急坂をふんばっていくとやがて背後から富士山が挨拶にくる。
 連休中に飛行機の上からみた時よりも雪化粧が濃いのは気のせいか。それにしても飛行機ではなくて地上から見る富士山はなんと立派なことだろう。あの姿を見るだけで疲れた足も元気になるのが不思議だ。

 やがて山頂も近い。電波反射板の横をすぎると、樹の間から白根が見えはじめ、また急に元気になる。一息で山頂だ。山頂には先程追い越していった登山者が3人。

 正面には大菩薩から黒岳、南大菩薩への稜線。ツツジの向こうには奥秩父の国師、金峰、その左には雪が少なくなった八ヶ岳。残念ながら穂高は見えないが、左には甲斐駒 から北岳、間の岳、農鳥の白根三山、広河内から塩見、悪沢と南アのビッグが大きい。
 富士山の右には御坂黒岳、左には三ツ峠の?山頂らしきものが見えた。
 これだけ見えれば満足。しかし、暑い。愛妻?おにぎりをほおばり暫し無線を聞いてみるが、本栖湖のモービルと一瞬繋がったもののあとはこちらのパワー不足。新宿副都心や横浜、小田原あたりがよく聞こえていた。

 山頂は狭いがひっきりなしに人がくる。もう少し人が少ないかとも思っていたが、あとで知ったが『山と渓谷』の5月号の別冊「春山ブック」にカラーで紹介されていた。みんなあのとおり米沢山からお坊山に行ったようだ。(ひとりだけ笹子峠からあがって来た人がいた)こちらは車が置いてあるので笹子峠を目指して下る。

 地図にない大きな送電線の鉄塔を過ぎ、甲州街道笹子道と書かれた立派な道標に従うとやがて旧甲州街道の初鹿野よりに出る。この鉄塔があの柏崎原発からリニア実験線へ送電するための100万ボルトの鉄塔と知ったのは後のことであった。

笹子雁ヶ腹摺山 高川山からみた笹子雁ヶ腹摺山(写真右)。左斜面に送電線の鉄塔が見える。

 短いけれども暗くてランプなしには歩けないトンネルをとおり峠に戻る。4WDの若い連中が数台で集会をするなか、旧道を進む。

 新緑が目に痛いとはこのことか。ただの藪山もとてもきれいに素晴らしく見える。
 やがて自然遊歩道に逸れ、「矢立ての杉」を見る。周りの杉とは比較にならないほど大きい。たしかに武田信玄の時代に武将が矢を射った杉と思える樹齢だ。
 遊歩道から車道に戻り再度遊歩道に戻るが、歩かれていないのと伐採の後のために道を失い、強引に車道に戻る。藪漕ぎは10年早いと痛感する。

 駐車地点で車を見つけ「また、車できてしまいました、ごめんなさい」と山に謝るが、後の祭りか。
 準備運動不足で足が痛かったので、十分に整理体操をしてから車に乗り込み帰路についた。途中、コンビニに弁当をかっくらい、高速は昼の早い時間で空いていた。

 山椒は小粒でピリリと、いう感じの山であった。

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