▼2002年 6月21日 (金)   -- No.[1]

「山の名前で読み解く日本史」
「もののけ姫」のおかげで中世のタタラ製鉄がすっかり有名になった。製鉄はもともと渡来人(なつかしいでしょ・・・)すなわち当時の先進国であった朝鮮半島の文明であり、タタラ製鉄が行われた周囲には、その関係の名前がついた地名が多数存在する。その多くは明治以降の町村合併などで似ても似つかぬ名前になっているが、山の名前は歴史と伝説の微妙な狭間を今に伝えてくれる。
 そんな山にまつわる地名の話題を集めたのが、谷有二「山の名前で読み解く日本史」である。タタラ製鉄に関係する作者の意見は以前に別の書籍で読んだ記憶があるが、なんという本か忘れてしまった。
 山の名前にも歴史にも興味は全くない、という人には当然全く面白くないです。
 登場する山や峠などの地名は巻末の索引をざっとみたところ約200。これらについて、タタラ製鉄をはじめとした鉱山関係、密教、朝鮮、渡来人、アイヌなどの大きな区分けで山の名前からその山やその時代に秘められた歴史を探っていく。
 
 興味深かったテーマを2,3掲げる。
 最初にテーマは、この春に通った奥武蔵の顔振峠の伝説。
 顔振の起源は「義経(と弁慶)がここを通過するときに眺めの良さに思わず顔を振り返ったから」というもので、この伝説はぼくが中学の時に最初に買った山と渓谷社のアルパインガイド(現在のアルペンガイド)「奥武蔵・奥多摩」(たしか横山厚夫さん編)にも出ていてよく覚えている。ちなみにこの峠の読み方は「かおふり」ではなくて「こうぶり」である。
 が、この伝説、真っ赤な(^^;)嘘・・・。

 次に佐々成政の「サラサラ越え」についての著者の見解。
「サラサラ越え」は戦国大名で越中富山の城主の佐々成政が厳冬期に立山から黒部、針ノ木峠を越えて信濃に渡りそこから浜松に居た徳川家康に会いに行ったその往復の道のりをいう。現在でも訓練された一部の冬山経験者しか越えられないこのルートを当時の人間がどうして往復できたのか、そもそも往復したのは事実なのかどうか、という点で、戦国史・山岳史最大の謎と言われているものだ。

 最後に「大同二年」の伝承。大同二年とは西暦807年である。
 手元に観光ガイドのようなものがあれば、神社・仏閣の起源を調べてもらいたい。もっとも京都や奈良、鎌倉あたりの由緒正しき、起源が分かっているお寺の類ではだめ。地元や田舎では有名だけど全国的にはあまり知られていないお寺、神社がいい。
 たぶんその多くは大同二年開山になっているはずだ。
 これらのお寺や神社はどうして大同二年なんだろうか・・・・。

と、テーマだけあげて置こう・・・。
読みたくなるでしょ・・。