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奥穂高岳

94年8月6日ー9日
 念願の穂高へ行ってまいりました。
 6日夜、昨年と同じ新宿都庁駐車場から「さわやか信州号」にて出発。今年も隣の席 が空きで夜行バスでも良く眠れた。上高地着5時30分。初めての上高地はいろいろな 発見があった。大正池はバスターミナルよりもずっと手前にあること。穂高の姿が想像 していたよりもずっと大きく見えること。所詮は観光地であること。
 レストランで何故かスぱげてぃを食べ6時すぎに上高地を出発、有名な河童橋をとお り横尾をめざす。天気は上々、穂高の峰はあくまでも高い。横尾迄は観光客も通り過ぎ る広い道。明神をすぎ梓川沿いに出ると明神岳の尖峰が鋭く迫る。初めての上高地は穂 高の迫力ばかりが目立つ。時々日差しの中を通るがおおむね木立の中でとても涼しい。 さすがに標高1,500メートルだ。
 徳沢の手前では梓川越しに明神と前穂の東壁が迫る。(読んだことはないけれど)有 名な「氷壁」の舞台だ。梓川の奥には大天井岳と思しき表銀座の峰が控える。昨年を思 い出す。昨年のあの天気に比べて今年は何といい天気なのだろう。
 横尾までくると屏風岩の大岩壁が迫る。横尾は涸沢方面と槍沢方面の分岐点であり、 多くの登山者が休憩している。FYAMAのログに従いここでラーメンを食べる予定であっ たが、時間が早すぎてまだやっていない。しかたなく途中のドライブインで買ったマフ ィンを食べる。結構よく眠ったつもりでいたがやはり眠い。少し惰眠をむさぼろうとし たがうまく眠れず10時半ごろ歩きはじめる。

梓川を渡り横尾谷沿いに進むと、しばらくして横尾の岩小屋のある河原に出る。ここ からは屏風岩の岩壁と奥に南岳のキレットが見事だ。上高地当たりからここらまでは オタカラコウが多い。やがて平坦な道が終了すると、本谷橋だ。涸沢の流れはとてもき れいに見えるが実は登山者の屎尿で汚染されているがそうは見えない。しばし大休止を して、残りのマフィンを平らげる。ここまではほぼ予定通りの時間で来た。さあ、いよ いよ本格的な登りだ。1時間ほどで道も緩やかになりやがて涸沢が見え出す。槍ヶ岳に 向かうヘリの音が響く。やっぱりヘリコプターは速いなあ、などと感心しながら見上げ る。じきに涸沢ヒュッテの旗も見え出すがきっとここからが長いんだよななどと思いな がら歩くとやがてヒュッテと小屋の分岐に出る。たまたま居合わせたベテラン風の登山 者が別の登山者に「大きなヒュッテよりも小屋の方がすいているだろう。明日北穂高に 登るのであれば小屋の方が近い」という言葉を聞き便乗して小屋に泊まることにした。
この後しばらくは北穂高経由で涸沢岳から奥穂高に行くべきだ、いや涸沢槍の通過は 危ないとの議論がいろいろな登山者のあいだで何度か交わされるが、私はあくまでも ザイテングラートからの単純往復にする(だって恐いんだもん)。

 涸沢は標高2,350m、気温も下界よりずっと低いが、何といっても回りの山の見事さ。 前穂の北尾根から屏風の頭への稜線、奥穂の岩壁(頂上は見えない)、そして見上げる 涸沢槍、北穂の南稜、遠くをみれば常念岳の特異なピラミッド、その左には横通岳。
 涸沢小屋は涸沢の風景によく似合う。ヒュッテよりも標高が50メートルほど高く 涸沢ヒュッテやテント村を見下ろす絶好のロケーションにある。でも噂によれば、ヒュ ッテよりも宿泊料金や飲み物などの値段が高いようだ。(翌日の穂高岳山荘や帰路に立 ち寄った涸沢ヒュッテで実証された)14時ごろに到着してから徐々に登山者のすがた が見えはじめたものの、割と少ない。宿の話しでは昨日は300人の宿泊者だったそう だが、今日はその3分の1程度の見込みとのこと。正解正解。実際、この日の宿泊者は 全部で75人で、畳1畳に1人迄はいかなかったものの、かなり余裕をもって睡眠でき た。トイレも何と水洗(とはいえ下の方に水が流れているという原始式ではある)で、 去年の大天井ヒュッテで随分と驚いたがどうも北アルプスではこれが標準のようだ。
 やることもないのでハムをウオッチしたり(奥穂の頂上でCQを出したのを涸沢のテン トで受けていた)、暮ゆく夕日に刻々と変わる山の色を大展望テラスから眺めたりして 夕食を待った。この間様々な人がいろいろな話しをしていたが、こういうひとときの話 題が結構重要だったりする。
 100名山を目指す単独行者は岩場が恐くてどうしても剣にいけないと悩んでいた。 もう50以上登っているそうだ。ポークソテーの夕食を食べ、8時すぎに寝た。

 4時に起床。4時半をすぎると東の空が明るくなる。なかなかきれいな朝焼けだ。今 日も天気はよさそうだ。5時に朝食をとり5時40分に出発。いよいよ日本第3位の高 峰を目指す日だ。見上げるザイテングラートはものすごい急坂に見える。それでもコー スタイムで2時間なら3時間もあれば、穂高岳山荘に到着するだろう。遅くとも9時に は到着だ。ガンバガンバ。
それにしても体力のなさよ、平気で世間話しをしながら登る中年オバハンが羨ましい ぜ。30分歩いて小休止。10分歩いて1分停止を続ける。1時間程で涸沢からザイテ ングラートの取り付きにはいる。ウサギギクやチシマキキョウが咲き誇る。小さな鎖場 とはしごを越えると白出乗越が見えてくるがこれからが本番、見上げるとそっくり返っ てしまうような急坂をゆっくりとのぼる。およそ2時間半ほどで穂高岳山荘の建つ白出 乗越に着く。山荘は涸沢岳と奥穂高の鞍部を塞ぐように建つ。山荘の裏側からは笠ヶ岳 がよく見える。左奥にはジャンダルムが真近に見えいよいよ穂高に来たのだと実感する。

 しばしの休憩のあと、ビニール袋に余分な荷物を残し多少身軽になって奥穂高をめざす。 いきなりのはしごと鎖場にびっくりするが高度感はなく問題なく通り過ぎる。20分ほ ど登ると涸沢岳越しに初めて槍の穂先が覗く。これでほとんど満足しあとはゆっくり山 頂をめざす。
 日本第3位の山頂は人でいっぱいだが、思いのほか広かった。
 肝心の展望はほぼ80点のできで、湿度が高いせいか南アルプスなどの遠くの山は 見えなかったものの、立山や薬師、それに雲の平方面の展望がよく、昨年歩いた表銀座 の峰峰も近い。上高地は手が届きそうだ。
 どこかの大学の山岳部が校歌を合唱していておばさんたちの拍手を頂戴していた。
 なんとなくぼーっとしたまま1時間半ほどを過ごし、水戻し餅(結構いける)を10 個食べて穂高岳山荘に戻る。

 山荘は風力発電や太陽熱発電を生かしたオーディオ機器がならびまた多くの山の本が ありここが3,000mであることを忘れる作りをしていた。昨日の涸沢小屋といい北アルプ スの山小屋は近代化が進んでいる。さすがにここは水洗トイレではなかったけれど。
 混雑度合もそこそこで両端の圧迫が強くやや睡眠不足気味に3時に起床。まだ真っ暗 だ。小屋の外へ出ると満天の星。写真にはとれなかったもののすごい。天の川や時々流 れる流れ星。山の星空を初めて満喫した。
 4時すぎに涸沢岳をめざす。ゆっくり30分でガラガラの山頂につく。山頂のすぐむ こうは断崖絶壁が涸沢まで800mほど落ちている。夜明け前の3,110m(日本第8位)はさ すがに寒くてセーターを着ても寒かった。日の出の時間が近づくと人も増えたがせいぜ い10人程度。反対側の奥穂高は満員のようで,山頂を目指すヘッドランプが光り、時 々記念撮影のフラッシュが光る。夜明け前の微妙な雰囲気だ。

 5時5分にご来光を拝む。ひょっとすると初めて拝むご来光かもしれない。雲海が少 なく荘厳というほどではないにしろ、なかなか見事な日の出で90点をあげよう。
 さあ,あとは下りだけだといいながら睡眠不足を30分程解消し、6時半すぎに下山 開始。本当は新宿行きの直行バスに乗れればいいのだが。
 ザイテングラードの下りは考えた程きつくはなかった。それでも2時間もかかってし まった。途中、涸沢カールの真ん中を通るパノラマコース通ったがハクサンイチゲとミ ヤマキンバイが見事で涸沢槍とよく合った。
 涸沢ヒュッテに行くヘリコプターがなかなか観衆を意識したアクロバット的な飛行を していて面白かった。

 下りは長かったが、横尾から上高地迄が一番長かった。降りるにつれビールとジュー スの値段が段々下がって行くのが面白かった。
 上高地までくると途端に観光地になった。沢渡(マイカー規制期間の駐車場)までの バスに並ぶ人の人数に圧倒される。新宿行きのバスは満員で、新島島までバスで1時間 15分かけ、やっぱりゆっくり走る松本電鉄(ワンマン運転でした)で松本まででて、 昨年と同じイトーヨーカドーの砂場というそばやでビールとそばを食い、18時36分 発のあずさのグリーン車で帰った。途中集中豪雨で20分ほど遅れた。

 涸沢小屋、穂高岳山荘とも変な単独の女がいた。槍に登りキレットがいやでまた 涸沢から登り直したようだ。その根性には感心するが、なんとなく変であった。

 追伸。今年のお盆前後の穂高は何年に一度という大展望を満喫できたらしい。それを 聞いて(パソコン通信で知って)今回の山行も少し減点されたけど、80点はつけても いいだろう。


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